こんちは。X3です。
非常に悲しいことなんですけど、最近『いじめ』に関する討論がいろいろなされているのをよく見ます。
その中で、「文部科学省の教員評価制度がよくない」とか、「教師の質が低下した」とか、「親と子の向き合う時間が減った」とかなどなど、イロイロな意見が語られてます。なかには「いじめられる側が悪いなんて」トンデモ意見もでてますけどね。
なんか、どれももっとも意見なんだとは思うんですけど、正論すぎてグッとこないというか、当たり障りがなさすぎて、うーんという感じが否めないなぁというのが正直な感想です。
ボクが「いじめ」対策として取り組みたいなぁと思っているのは、
『ボクは、わたしは、いじめをしない人間です』ということを、周りの人々に周知させるアイコンを作りたいということです。
何をやるかというと、昨今流行ったホワイドバンドの、「いじめバージョン」を作るイメージですかね。例えば、ブルー(青春の青)バンドみたいな感じで。それを全国の小中高に配り、生徒に身につけさせるという単純な仕組みです。が、そこそこ効果があるんじゃないかとも思っています。
なぜ、そう思うかというと、
「何かになりきらす、演じさせる」ということは物凄く効果のあることだからです。人間って結構忠実にその役柄になりきるんですね。ホント純真に。
それを示す劇的な例が心理学の実験であります。
それは、1971年にスタンフォード大学の教授であるジンバルドらが行った実験です。
普通の人が「看守」と「囚人」に分けられ、その役にハマっていくにつれて、「看守」は凶暴化し、「囚人」は卑屈になっていく。「看守」は実験者側の人間に対しても凶暴性を剥き出しにし、実験室は無法地帯となってしまい、2週間の予定をわずか6日で中止にしたという実験です。
詳しい内容を記すと、
彼は雑誌で参加者を募集し、実際の入所経験者や看守に聞き取り調査を行い、心理学部の地下に限りなく本物に近い模擬実験室を作りました。私物の禁止、ID番号の使用、点呼から食事の毎日の決まり、格子窓からの監視、タバコやトイレの許可制度など細部まで忠実に模してありました。
実験開始後、2日もしないうちに「囚人」は、感情が極度に落ち込み、号泣、不安の兆候が現れ出し、5人がすぐに開放されました。「囚人」も「看守」も、実際の囚人と看守になりきってしまい、役割演技と自己の区別がつかなくなってしまいます。「看守」は、侮蔑的、攻撃的、支配的になり、「囚人」は、従属的、無気力、自己否定的となりました。「看守」は、「囚人」をあさましい動物であるかのように見下し、自分たちの残忍さを楽しむようになり、「囚人」は隷属ロボットになりさがってしまいました。
普通の人たちが「役割」を演じることで、たった6日で激変してしまうのです。
このような人間の性質をうまく利用し、『自分はいじめをしない人間なんだ』という役割を演じさせることができればなぁ、と思っている次第です。
そして、それを常に意識させることが大事なのは当然なのですが、
もう1つ大切なことが「周りの人に対しても発信する」ことだと思います。そうすることで、自分が演じる役割に対する拘束力がより強くなります。その両方の役割を担ってくれるのが、「ブルーバンド」になるわけです。
実は、こういう仕掛けって「ブランディング」でよくやります。企業人として、私たちは○○な人間であるべきだぁなんて明文化し、常に意識させることで会社にふさわしい社員に育っていくっていうやり方です。
うちの近くの回転寿司やに『銚子丸』っていう店があります。すごーい繁盛店でありまして、土日なんて2-3時間ぐらい待つことなんてザラです。
ちなみに、うちの王子、大好きです。ナハ。
そこのお店には「私たちは、劇団員です。お客様の笑顔のために・・・」みたいな一文があります。だから、銚子丸っていうのは、すごーく賑やかだし、接客に長けているし、イヤなキモチにさせられることがぜんぜーんないです。
だから、行列がすごいんだと思うんですよね。
確かにウマイけど、そんな並ぶほどじゃーないです。おいしい以外に、キモチよく、楽しく、食べるっていう経験ができるからこそ行くんだと思うんですよね。楽しいと食事は一層おいしく感じますからね。
話は少しずれてしまいましたが、
「いじめをしない人間ですということを演じさせる」アイコンと意識付けを、国を挙げて取り組んでいくことができれば、そこそこ効果があるんじゃないかと。
さらに、それに賛同するミュージシャンやタレント達を巻き込んだ立体的な活動ができれば、そこそこ「いじめ抑止力」が働くような気がしてます。
その活動を歳時化(コンサートなど)できるとなおいいかなぁと思う次第であります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
クリック応援宜しくお願いしまーす
↓↓↓
人気blogランキングへ
にほんブログ村
いじめ